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ワンマンバンドからハーフマンバンドへ…ボクは2000年にアメリカ横断の旅の途中でニューオリンズでデビューし、2013年までプロのワンマンバンドとして大道芸の活動をしていました。活動していた13年間、得た金と時間は全てワンマンバンドに捧げました。なぜならワンマンバンドはボクのすべて、人生そのものだったから…。国内はもちろん、海外でも精力的に活動していました。(アメリカ13都市、ヨーロッパ23都市)

しかし2013年にスペインから帰国して1か月後に脳こうそくをわずらい、「左半身まひ」の身体障害と脳の障害、「高次脳機能障害」という二つの障害を負い、左手足の機能不全に加えて、二度の手術でボクの脳みそは1/3になりました。

前まで自由に世界を旅していた僕の体は白い監獄の中で車いすに縛り付けられました。さらに担当の医師から「ワンマンバンドはもう無理だ」と言われ、完全に人生を見失いました…。

​1か月ワンマンバンドができなくなった現実の中、何のためにするのかわからないリハビリにやる意味が見いだせず、ぬけがらのようなむなしい時間を横目で見送ることしかできませんでした。院後、片手でも音が出るキーボードを弾き始めると、何か音が足りないと思い、それがドラムだと気づいた時にこの残された体でもう一度ワンマンバンドができる方法がないかを探り始めました。退様々な工具を駆使して片手のみで世界でたった一つの特殊な楽器たちを作り始め、キーボード、カホンハイハット、ハーモニカを同時演奏できるシステムを完成させました。僕に残された1/3脳みそと動く右手足を駆使して演奏できるようになり、2024年5月にワンマンバンドを始めた頃のように再びデビューしたころのようにを大道芸をしながらアメリカの旅を決意、以前旅していたころと比べて飛行機チケット代や宿代は倍以上、さらに円安で1ドル158円。旅費に総額100万円はかかる計算でした。頼りのチップは、12年のブランクで外れた音では望めるはずがありませんでした。今まで何のために生きているのかさえわからない見失った時間はもう戻すことができませんが、失った人生は取り戻せると信じ、100万円を引き換えにアメリカへ飛びました。デビューしたのは2000年55月18日、場所はニューオリンズのジャクソンスクエア、そんな僕の聖地で、そこで出会った今は亡き師のペリー・ザ・ホボに再開を報告すべく。歌いました。脳こうそくは再発の多い病気なため、この人生はいつ終わるかわからない中で奪われた人生を取り戻したいと思い、ハーフ万バンドとして活動を再開させました。2代の頃、好きなミュージシャンは障がい者であることが多く、障害で機能を失った人は自分の持ちたい力を持つことができると信じていました。もしかすると自分が障害者になったのはそれを証明する側に立ったのではないかと思うようになりました。

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